町方同心の給与(暫定版)

  • 2020.08.26 Wednesday
  • 16:08

 「町方与力同心の給与:与力篇(前)」を書いてから、早くも二年半が経ってしまいました、

 続編を書くため、一つひとつ史料に当たる気力がなかなか涌かず、先延ばしにしていたところ、2018年の暮れに倒れてしまい、以来半身麻痺のため、集中力の低下と著しい入力効率の悪化でどうにも根気がつづきません。とはいえ、アクセスログを見ると、「町方与力同心の給与」に関する記事を目当てに来られる方がもっとも多く、このまま続きを書かないのも申し訳ない気がしています。そこで手間のかかる作業は省いて、町方同心の給与について、簡単にまとめてみたのが本記事になります。

 

 「天保年間諸役大概順」によれば、「諸組同心」は三十俵三人扶持より十五俵二人扶持迄となっていますが、町方同心は本勤ならば、三十俵二人扶持が原則で、「組役:組与力同心の階級」でも触れたように、部屋住みの増人同心の場合には、二十俵二人扶持で親との同居になるため、拝領町屋敷はありませんでした。

 これに役料込みの総額は南北両組で若干の差がありました。文政年間ごろの姓名書をみると、北組では役料込みの三十四俵宛が十五人、同じく三十三俵宛が五人、役料なしの本勤が三十俵宛で八十人、増人の二十俵宛が二十人となっています、

 

■画像1)北組同心の切米高(北組姓名書。国会図書館デジタルコレクション)

北組同心給与

 

 一方、南組では役料込みが北の二十人よりも多く、高も三段階に分かれています。すなわち、三十五俵宛が二十人、三十三俵宛が五人、三十一俵宛が七人で、役料なしの本勤が六十八人、増人は南北で変わりません。

 

■画像2)南組同心の切米高(南組姓名書。国会図書館デジタルコレクション)

南組同心給与

 

 切米は五十俵、あるいはそれ以上もらっていた人の記録もありますが、扶持米に関しては二人扶持以外の人を見たことがありません。一人扶持は五俵で換算することになっていますから、町方組同心に限っていえば、扶持米は二人扶持でおよそ十俵と計算しておけばいいかと思います。

 

 ついでに、拝領屋敷について、もう少し詳しく触れておきます。町方与力同心の拝領屋敷といえば、八丁堀組屋敷図に関する研究で知られる都市計画研究家の中村静夫さんによる分析にもあるように、組与力同心の大半が拝領屋敷の一部または全部を他人に貸して、副業(不動産経営)としていたことはつとに知られています。武家地たる与力の拝領屋敷には、町人をあからさまに住まわせるわけにはいきません。そこで儒者や医者、検校や手習いの師匠、それに自分の拝領町屋敷をすべて他人に貸してしまった同心など、武家地にふさわしい住人を選んで貸していました。八丁堀の七不思議のひとつ、「儒者、医者、犬の糞」という言葉のいわれがわかろうというものです。

 

■外縁部を町人地であることを示すグレーで囲み、武家地と町人地の混在を表現している江戸切絵図(八町堀細見絵図。国会図書館デジタルコレクション)

八丁堀の拝領町屋敷

 

 では、組同心の場合にはどうだったのでしょうか。じつは組同心の拝領「町」屋敷は、武家地たる与力の拝領屋敷とは大きく異なり、本人の住居こそ武家地として扱われるものの、拝領町屋敷全体は町人地とされ、歴とした町名(亀島町、北島町、岡崎町)もあり、町名主の支配も受け、町人に貸すことが許されていました。そこで大半の組同心は百坪弱の拝領町屋敷に、本人は二、三十坪ほどの屋敷を構え、表通りに面したところは商人に貸し、残りの土地には貸し長屋を建てて、町人相手に賃貸していたわけです。

 なかには、拝領町屋敷をすべて他人に貸してしまって、本人は他の組与力同心の敷地内に賃借する人もいました。中村主水のご近所さんが貧乏長屋の住人ばかりだったとしたら、せんとりつももう少し世間体を気にせずに、やさしくなれたかもしれませんね。

 

 与力株は千両、同心株で二百両なんて話もありますが、実際のところ、町方同心のお財布事情はどうだったのでしょうか、本勤の同心で三十俵二人扶持をまずは四十俵と換算し、十俵を三両から三両二分とすると、金にして年間およそ十二両から十四両ほどの基本収入があるということになります。これに諸手当や、各筋からの付届なども加味すると、拝領町屋敷があって、住むところに困らないばかりか、副収入(賃貸料)までついてくるわけですから、裕福とはいえないまでも、決して悪くはない暮らしぶりだったのではないかと思います。

 では、彼らの年収を今日の貨幣価値に置き換えるといかほどかという問いについては、当時の貨幣価値を、社会構造や身分制度、経済システムや人の価値観など、何から何までが異なる現代の貨幣価値と比較することはまったくの無意味であるばかりか、むしろミスリードを招き、弊害の方が大きく、おすすめはしません。それでもなお、ということであれば、一両=二十万円ほどで計算してみると、割とおさまりのいい数字になるかもしれません。

 

(2020年8月26日公開)

 

大相撲が帰ってくる

  • 2020.07.10 Friday
  • 03:01

 今月十九日から、大相撲七月場所が再開されるようです。

 夏場所は中止になってしまっただけに、七月場所こそは無事に千秋楽を迎えてほしいものです。

 大関に昇進した朝乃山関への期待も膨らみます。先に大関となったものの、怪我による休場などで、さいきん活躍のなかった貴景勝関がどう迎え撃つのでしょうか。若い両大関の激突にも注目が集まります。

 怪我で大関から序二段まで陥落した照ノ富士関の復活劇や、新入幕の二十歳・琴勝峰関など、本当に楽しみです。

 七月場所は本来なら、名古屋開催のはずですが、これもコロナ禍のため、両国国技館での無観客開催となるようです。

 

 両国といえば、『御府内備考』等の地誌によれば、江戸時代前期、利根川の東遷事業により、本所村を含む下総国葛飾郡の葛西領が武蔵国に編入され、武蔵国葛飾郡となったのだそうです。

 これが「大橋」を「両国橋」といわしめた謂れなんですね。

 

組役:組与力同心の階級

  • 2020.07.04 Saturday
  • 03:00

1. 組与力同心の員数

 寛永八(1631)年以後、江戸の町奉行は一時(元禄十五~享保四年)三人に増えたことはあるものの、享保四(1719)年に中町奉行の坪内能登守(定鑑)が辞職し、後任が置かれないまま二人に復して以降はそれが幕末まで続きました。

 また、町奉行が南北両員に復した際に、町方組与力同心の員数も、各組与力二十五騎同心百人宛となりました。どうもこのときに、町奉行の家来二人(南北両組で計四人)の名を組与力二十五騎のうちに含めて書き出す内与力の運用も始まったようです(※1)

 延享二(1745)年には、寺社の門前町が町奉行支配となり、これを機に「用務繁激」を理由として、同心の定員増(各組百二十人宛)が認められます。但し、増員となる二十人はすべて従来の組同心の部屋住みからの採用ということになりました。これを増人同心といいます。つまり組同心の定員は各組百人宛から二十人宛増えはしましたが、同心株で数えれば、百株のままということになります。

 定員に関していえば、これが与力と同心の違いでした(同心は延享二年以降、部屋住みのうち、適齢期で十分に働ける一部の者=二十人が増人同心として員数内に数えられるようになったわけです)

 本ブログでは、特に断らない限り、この延享二年体制(つまり町奉行が南北で二名、組与力が内与力を除いて各組二十三騎宛、組同心が部屋住みの増人同心を含めて各組百二十人宛)を前提としています。なお、増人同心の俸禄は本勤の若同心(三十俵二人扶持)より少なく、二十俵二人扶持で、拝領屋敷も部屋住みが前提となるため、ありませんでした、

 

 

2. 組与力の階級

 南北両組には、壱番から五番までの番組があり、組与力同心はそのいずれかに属していました。その各番組を統括していたのが同心支配役与力で、番組ごとに一人宛、南北各組に五人宛いて、支配与力あるいは筆頭与力などとも呼ばれていたようです。また、他にも次席の与力で役付の扱いを受け、役料を支給されるケースもありました。

 支配与力以外は、員数(各組二十五騎)内の本勤与力(各与力家の当主)と員数外の見習与力(部屋住み)があり、勤務年数に応じて席順(序列)が定まっていました。

 員数外の見習与力には、従来の見習与力の外、業務量の増大に伴う人員不足の折から宿直勤務もこなせるよう、本勤並に資格が見直され、手当も増額(※2)された本勤並与力が天保九(1838)年に新設されています。また、有給の見習与力が七人までだったためか、無給の見習(無足見習)もいたようです。

 

 

3. 組同心の階級

 組同心の階級は概ね、年寄同心、物書同心、若(平)同心、見習同心の四つに分けることができます。組同心もまた、勤務年数に応じて席順(序列)が定まっていました。

 

 年寄同心には本役以外に、増年寄、年寄助、年寄格などの階級も置かれることがありました。

 物書同心には本役以外に、物書格、添物書、添物書格、添物書助などの階級も置かれることがありました。

 見習同心には、有給(年三両。十一人まで)の見習同心の外、無給の見習(無足見習)もいました。

 

 物書同心以上の特定の役付同心には役料が支給されていました(但し、南北で役料の額や人数は異なっていました)

 なお、幕末頃には年寄同心の上に、同心世話役という階級も置かれたようで、北組の隠密廻・大八木七兵衛や同じく北の隠密廻の田辺平左衛門、南組の隠密廻で鳥居甲斐守に連座して失脚した小倉朝五郎や、同じく南の隠密廻で後に与力にまで取り立てられた小林藤太郎などが任じられています。彼らの顔ぶれを見る限り、同心役ではいかに三廻り、とりわけ隠密廻に力と権威があったかが察せられます。

 

 

※1)佐久間長敬著『江戸町奉行事績問答』、東洋書院

※2)従来の見習与力が年に銀十枚の手当だったのに対し、本勤並与力の手当は年二十両に増額されました。なお銀十枚は、銀43匁/枚×10枚=銀60匁/両×7両+10匁になるとして、金七両と三朱に少し足りないぐらいでしょうか。

 

 

新撰組の敬礼

  • 2020.06.28 Sunday
  • 18:56

 新選組にはあまり関心はないのですが、時代劇チャンネルで栗塚旭さん主演の『新選組血風録』をやっていると、つい見入ってしまいます。殺陣は華麗でも派手でもないのに、どうしてあんなにも迫真のシーンが紡ぎだされてくるのだろうかと、毎回感心してしまいます。殺人集団(というと、語弊もありますが、子ども時代に初めて新選組と出会った、古谷一行さん主演の『新選組始末記』で高橋長英さんの山南敬助が切腹させられる場面をみて、トラウマとなって以来、どうしてもそういうイメージを拭えません)の物語であるはずなのに、あの抒情的な画面と台詞に触れていると、まるで一篇の詩に入り込んでいるような心持ちになります。

 

 さて、このドラマにはところどころで新選組隊士による挙手の敬礼シーンが出てきます。

 幕末には、幕府陸軍はフランス式調練を受けていたといいますから、おかしくはないのかもしれませんが、ところかまわず斬りかかる印象の強い彼らが髷姿で挙手の敬礼をする姿はどうもしっくりきません。実際のところはどうだったのでしょうか。

 

 話は変わりますが、岡田准一さん主演の映画『燃えよ剣』がコロナ禍のため、公開延期になっているとか。同じ原田眞人監督の『関ヶ原』で話題になったらしい、やたらと早口で長広舌をふるう、独特な台詞まわしも幕末ものならば、存外にあっているかもしれませんね。公式サイトをちらっと見てみたのですが、鈴木亮平さんの近藤勇も「らしく」て、気になります。早く公開されるといいですね。

 

 先週は懐かしい『国盗り物語』の名場面集?も見られたし、来週には麒麟が帰ってくると思っていてもいいのかしらん?

 

麒麟のひとやすみ:平均視聴率39.7%の大河ドラマ

  • 2020.06.14 Sunday
  • 18:48

 残念なことに今年の大河『麒麟がくる』は、コロナ禍で撮影の中断を余儀なくされていたため、先週の放送分で話のストックを使い切り、きょうから当分はひとやすみとなるそうです。そのかわり、過去の大河の名場面集をやるそうで、今週は歴代の大河史上最高の平均視聴率39.7%(ウィキペディアより)を誇った1987年の『独眼竜政宗』の名シーンが見られるそうです。

 そう、「梵天丸もかくありたい」のセリフが月曜午前中のオフィスでも話題となり、一世を風靡したあの作品です。この年は、私が大学を卒業し、就職した年でもあり、JRが生まれ、お隣の韓国ではいまだ軍事独裁政権下にあり、盧泰愚次期大統領候補が民主化宣言を行った年でもありました。

 

 いまや世界的な名優の渡辺謙さんを世に送り出した大河として、記憶にとどめている方も多いことでしょう。それまで、一部の演劇ファンにしか知られていなかった二十七歳の青年を大半の日本人が知ることになった番組でもあったのです。

 一人の人物の半生を描くことの多い大河ドラマでは、二十代の俳優が老人を演じることも珍しくありませんが、エネルギッシュで悩み多き青年武将を演じる一方で、一癖も二癖もある老政治家・政宗をなんの違和感もなく演じた渡辺謙さんの凄味には舌を巻くほかありませんでした。その迫力ある名演技を今晩また見られるとは本当に楽しみでなりません。

 

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