定中役

  • 2020.05.19 Tuesday
  • 01:00

 町奉行所の分掌の一つに定中役という掛役がありました。

 定中役とはどんなお役目だったのか。三田村鳶魚は『江戸雑話』のなかで定中役について、「同心十人、臨時触当により諸般の出役に従事す」と書いています。いわゆる総務系の何でも屋だったようですが、番方同心との違いがよく分かりません。定中役の触当を行う定触役という掛役もあり、こちらは「同心三人」となっています。番方世話役と同じようなものでしょうか。

 

 どうやら彼らは様々な臨時出役に駆り出される若手の同心たちで、役所内でも比較的軽く扱われ、便利使いされる存在だったものと思われます。しかし、わざわざ番方同心とは別に敢えて「掛役」として設ける必要があったのでしょうか。

 まだ役目(掛役)もつかない、駆け出しの時代に、若手の若同心や見習同心がやらされるという番方同心との違いはどこにあったのでしょうか。じつは当番方の最大の特徴はその勤務形態にあります。

 

 宿直ありで、二十四時間以上の連続勤務となる当番方は、思いのほか大変な仕事で、与力の場合にはもっともキャリアが浅く、掛役が無いとみなされる若手の与力たちがひっぱりだされ、ロウ・ティーンの当番与力が真夜中にいい年をしたおじちゃん・おばちゃんたちの駆け込み訴えを聴いたり、彼らにお説教したり、喧嘩の仲裁までしていたといいます。

 ちょっと不安な気持ちにもなりますが、そこはよくできたもので、同じ番組から、物書同心以上の係長・主任クラスのベテランが当番同心として、当番与力を補佐していました。お守役といったところですね。当番与力と当番同心は、壱番から五番までの番組から順番で出て、それなりに責任ある役目を務めますが、主に雑用や力仕事をやらされる駆け出しの同心たちは番組とは別に三番編成となっていて、交替で出勤していました。それが番方同心です。

 

 番方同心はそうした特殊な勤務形態のため、他の掛役との兼帯や交替の調整なども面倒だったろうと思います。そこで、日中は常に組屋敷などで待機し、いつでも出役できる定中役のような存在は使い勝手もよかったろうと思います。また、無役の番方から日勤の掛役へとステップアップしていく過程ではワン・クッションにもなり、敢えて掛役として置く意味もあったのでしょう。

 

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