天保十三寅年二月 南町奉行所住居向絵図面

  • 2017.12.18 Monday
  • 03:14

 こんなものも、一日中ながめていても飽きることのないものの一つです。

 絵図面上を部屋から部屋へとゆっくり視線を這わせながら、いつしか町方の組与力同心になったような心持でいろいろと妄想を膨らませていきます。楽しくも幸せなひとときです。

 

 北町奉行所の平面図はこちら

 

天保13年2月 南町奉行所平面図 ※クリックすると別ウィンドウで大きな画像を開きます

南町奉行所絵図
画像上部に東向きの表門があります。また、北から西へとまわりこんでいるのは奉行の家来たちの長屋です。大岡越前守の設計になると伝わり、それも組与力同心たちの誇りであったようです(旧幕府引継書『南北御番所住居向絵図面』、国立国会図書館デジタルコレクションより)

 

※上掲のデータは、筆者(瀬田琉次郎)が四枚の絵図面をデータ加工し、つなぎあわせたものです。素人が加工しているため、つなぎめに若干のズレがあります。

コメント
ITMedia質問の「江戸時代の南北町奉行の所属人事について」のご回答を読んで、このブログにたどり着きました。PCにも携帯にもこのサイトを「お気に入り」に入れておきましたので、これからゆっくり読ませていただきます。

北と南の人の入れ替えはあったか、、、具体的な例を出していただき、納得しました。一応原則はなかったということですね。私も近頃江戸時代を少し知るようになりましたので、ほんとによく調べておられる方のサイトでないと頼りないです。このサイトに出会えてよかったです。ありがとうございます。
  • 歴史ファン
  • 2018/12/10 12:16 AM
 歴史ファンさん、はじめまして。
 また、過分なお言葉ありがとうございます。

 町方の組与力同心はその場所での採用ですから、生涯その場所を勤め上げるのが原則でした。市役所で採用された人が国や県の役所に異動することがないのと同じようなものといえるでしょうか。
 とはいえ、長いスパンでみれば、例外もまた少なくはありません。
 元北組与力の谷村正養が「悪い事をすると、御先手与力というのにされるのです」と語っているように(旧事諮問録)、町方の組与力同心から、先手組その他へ組替えとなる事例もいろいろとあります。また珍しいケースとは思いますが、東條八太郎が北から南へ組替えとなり、代わりに南の中村又右衛門が北へ異動したようなケースもあって、なかなか興味深いものがあります。
  • 琉次郎
  • 2018/12/13 1:43 AM
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