町奉行吟味物調役のこと

  • 2017.09.01 Friday
  • 05:16

 前回の記事の後半で、町奉行吟味物調役と内与力の話を少ししました。

 町奉行吟味物調役(設置当初は支配留役といいましたが、まもなく吟味物調役と改められました。※1)は、寛政八(1796)年三月十七日に始めて置かれ、文化八(1811)年八月二十八日に廃止されるまでの僅か十五年間しか存続しなかったため、その役名を知る人も少ないようです。この点、天明八年から幕末までつづき、川路聖謨(後の勘定奉行)や久須美祐明(後の勘定奉行)、佐々木顯発(後の勘定奉行、町奉行)、井上清直(後の勘定奉行、町奉行。川路聖謨の実弟)らを輩出した寺社奉行吟味物調役とは大いに異なるところです。

 

 「天保年間諸役大概順」(※2)によれば、寺社奉行吟味物調役(百五十俵二十人扶持)は。布衣以下御目見以上の役職で、勘定吟味方改役(百五十俵十人扶持。勘定吟味役支配)の次、評定所留役(百五十俵二十人扶持。勘定奉行支配)、勘定(百五十俵。勘定奉行支配)の前に記載されています。また、町奉行吟味物調役(百五十俵二十人扶持)については、評定所の格例で席順が「寺社奉行支配留役の次、評定所留役の上」とされていました。これらは役扶持に多少の差はあるものの、役高も同じ(百五十俵)で、概ね同格の役職といえるようです。吟味物調役の支配者は寺社奉行や町奉行ですが、いわば評定所(勘定所)からの出向のようなもので、いずれも勘定所系のポストといえます。

 

 町奉行吟味物調役を勤めたのは、南北あわせても次の七人しかいません。

 野沢半太郎(南。支配勘定より):寛政八年三月十七日〜文化三年頃

 田島清三郎(南。徒目付より):同断〜同年十一月十三日

 雨宮雲九郎(北。支配勘定評定所留役助より):同断〜文化八年頃

 大塚亀之進(北。徒目付より):同断〜享和元年頃

 高木幸次郎(南。徒目付より):寛政八年十一月十三日〜文化九年頃

 横山鍋五郎(北。評定所留役より):享和三年頃〜文化九年頃

 久須美権兵衛(南。評定所留役より、※3):文化四年頃〜文化八年頃

 

 文化八年八月に町奉行吟味物調役は廃止となりますが、文化九年の武鑑には同役の欄に高木幸次郎(南)と横山鍋五郎(北)の名前が載っています。単に武鑑の情報更新の遅れとも考えられますが、南北両組とも一人ずつ残っているところを見ると、引継ぎや残務処理のためだったのかもしれません。彼らの前職を見ると、徒目付や支配勘定など、御家人からの抜擢が多いことも、「成り上がり者」を多数輩出した、当時の勘定所系人事の特徴といえます。

 

 なお、天保十五年二月、南町奉行鳥居甲斐守と北町奉行鍋嶋内匠頭の進達により、内与力が廃止された際には、町奉行吟味物調役とは違いますが、同じ「吟味物調役」という名称の掛役が南町奉行所に設置されています(※4)
 

※1)天明八(1788)年八月二十八日、寺社奉行手附が新設され、勘定評定所留役の四人が任じられました(なおこの時、留役の支配者である勘定奉行には「只今迄之通、其方共支配の積と心得らるべく候」との申し渡しがありました)。その後、寛政三(1791)年二月八日に寺社奉行支配留役と改められ、同八(1796)年三月十七日には町奉行所にも支配留役が置かれました。同年四月二十九日、寺社奉行・町奉行支配留役は、同吟味物調役と改められました。(『古事類縁』官位部 第3巻)

※2)財団法人尾張徳川黎明會編『徳川禮典録』巻之二十五

※3)久須美祐明。後に寺社奉行吟味物調役、納戸頭、佐渡奉行、大坂町奉行などを経て、天保十五(1844)年十月二十四日、念願の公事方勘定奉行となりました。時に七十四歳のことでした。

※4)旧幕府引継書の『與力同心御役掛名前』によります。ただし同書は南組の年番方が作成した書類であるため、北組でも設置されたかどうかまでは分かりません。このときは、三番組支配与力の佐久間彦太夫、五番組支配与力の仁杉八右衛門、弐番組次席与力の原鶴圓門の三人が吟味物調役に任じられていますが、七か月後には肝心の鳥居甲斐守が町奉行を罷免され、翌年六月にはこの掛役も廃止となったようです。

 

(2018年4月5日加筆修正)

コメント
琉次郎様
いつも興味深く拝見させていただいております。
上に挙げてらっしゃる七人の内、経歴の判明した分をご報告いたします。

■野沢半太郎
寛政八丙辰年三月十七日町奉行支配留役被仰付(支配勘定より)
寛政十一己未年十二月二十二日右評定所格例并御仕置例書取調御用相勤候付銀拾枚拝領
文化四丁卯年二月八日右衛門督殿勘定奉行 平岡次郎兵衛跡 永々御目見以上

■大塚亀之丞盛定
寛政八丙辰年三月十七日町奉行支配留役被仰付(御徒目付より)
同年四月二十九日役名之儀町奉行吟味物調役与唱替
享和元辛酉年八月十九日日光奉行支配組頭
文化八辛未年御細工頭

■高木幸次郎
寛政八丙辰年十一月十三日町奉行吟味物調役被仰付並之通御足高御役扶持二十人扶持被下之(西丸御徒目付より)
文化七庚午年十二月十九日出精相勤候ニ付御勘定組頭次席被仰付勤候内拾人扶持被下之
文化九年六月十九日御廣敷番之頭被仰付永々御目見以上

■横山鍋五郎、七左衛門
享和元辛酉年八月二十二日評定所留役御勘定ヨリ大塚亀之進跡
文化七庚午年十二月二十二日父跡式無相違被下置之(七左衛門、父は御勘定の横山七右衛門)
文化九壬申年十一月十六日佐渡奉行支配調役被仰付永々御目見以上

■久須美権兵衛
文化四丁卯年二月二十一日町奉行吟味物調役被仰付
文化八辛未年九月二十三日寺社奉行吟味物調役被仰付
  • jebandemou
  • 2020/10/08 9:26 PM
すいません。ちょっと訂正させてください。

大塚亀之進が日光奉行支配組頭に転任するところで、日付が抜けてました。
文化八年四月二十九日です。

さらに、横山鍋五郎(七左衛門)のところは、「佐渡奉行支配調役」ではなく「佐渡奉行支配組頭」でした。

申し訳ございません。
  • jebandemou
  • 2020/10/09 11:28 AM
jebandemou様、わざわざありがとうございます。
また、気がつくのが大変遅くなってしまい、失礼しました。
この記事を書く際に、雨宮雲九郎に関する情報を探していて、jebandemou様のサイトを知りました。
以来、たびたび興味深く拝見させていただいております。
じつは横山鍋五郎のその後が分からず、ずっと気になっていました。ちゃんと「永々御目見以上」になれていたんですね。胸の支えが下りたような心地です。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
  • 琉次郎
  • 2020/11/04 5:35 AM
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